働くことはつらいこと?経済的独立=真の幸福ではない
この記事では、よくあるFIRE(Financial Independence, Retire Early)を目指そう!みたいな話で多くの人が勘違いしていることについて書いていきます。
働かずにすめば幸せの大きな勘違い
私は現在個人事業主として自由に働いていますが、かつては従業員が何万人といるいわゆるグローバル企業のサラリーマンでした。サラリーマン時代、FIREのような生活にあこがれ、FX等に手を出したりして危ない橋を渡っては失敗するといったことを繰り返していました。
その頃の私は、働かずに済む世界=幸せな世界と信じていました。その後、独立し今では自分のやりたい仕事をやりたいようにやることが許されるようになり、順調に仕事も増えていき、サラリーマン時代の倍ぐらい稼げるようになりました。
そうなった今、毎日はとても忙しくて大変で、サラリーマン時代も相当忙しかったですが、倍ぐらい稼げるだけあって倍ぐらい働いています。
ところが、あの頃のように働きたくない、つらいと思うことはなくなりました。サラリーマン時代の倍ぐらい働いているのは、気がついたら働いてしまっているというのが正しいです。
働くのか働かされるのか
人間は、働かされると非常につらいです。一方で働くのはとても楽しいのです。現代社会では会社勤めで「働かされている」状態の人がほとんどであるため、FIREしたい、何もせず遊んでいたいと思ってしまっています。
しかし、家で何もすることが無くYoutubeを見たり、ゲームをしたり、誰から何を言われることもなく、世間と関わることもなく生活し、好きな時に好きなものを食べ、旅行に行き、となった時にそれが本当に幸せでしょうか。
もしあなたが今、「働かされている」状態で、日々やりたくないことを強制的にやらされているのであれば、それがやりたくないことであればあるほど、何もしなくていい生活が幸せに見えると思います。
しかし、その生活は楽かもしれませんが幸せではないと思います。少なくとも私はそんな人生を想像するとちょっとゾッとしてしまいます。自分は何のために生きているんだろうと思ってしまうと思います。
人は本来働くことが大好き
本来人は、働くことが大好きな生き物です。そうでなければ人類がここまで繁栄し全世界に君臨することはなかったはずです。
SNSで承認欲求を満たすために嘘をついたり、迷惑なことをして目立とうとする人がいます。これは、働くことが好きという人の性質がゆがんでしまった末路です。
正しく働くことで、周りが評価してくれる、報酬を払ってくれる、そうして満たされるのが承認欲求です。承認欲求というのは、人が世のため人のために働きたいと思うために備わっている本能です。
それが歪み、ただ承認欲求を満たそうとだけして迷惑な行動に走ったりしてしまうのです。それは、性欲を満たすために相手をだましたり傷つけたりするのと似ています。本来は子孫を残すための本能である性欲ですが、それを直接満たそうとするといろいろと歪みが生じてしまいます。
働かされるのではなく働く人生を
あなたが真に幸せになるためには、あなたが心から世のため人のためになっていると実感できることにまい進するほかに道はありません。
もちろん、今会社に勤めているのであれば直ちに辞めて個人で事業を立ち上げなさいということを言っているわけではありません。会社の中でも自分で仕事を見つけて進めていってもいいと思います。
ただ、会社組織はどうしても会社全体の方針というものがあるので、自分の中で納得いかないこともやらないといけなくなることがあります。そう考えると、個人事業主になってフリーランスで自由に働くというのは比較的自分が信じる世のため人のための仕事をやりやすいと言えばやりやすいです。
このあたり、どうすれば各自が働かされるのではなく働くのかというのは、今1名人を雇っている立場の私としても悩ましいところです。私は好きに決めて好きに働けますが、従業員になってくれた方にもそうなってもらい、なおかつ自分の事務所に貢献してもらうというのはなかなかに難しい話になります。
とはいえ、やりたいことをやらなければいけないという本質的なことを見失わずに生きていく必要があります。
やりたいことをやればいいわけではない
ここで、問題になるのが「世のため人のためになる」が最優先事項で、あなたがやりたいことというのはその次に来るということを忘れがちな点です。
例えば、ちょっと前に子供がなりたい職業ナンバーワンだったYoutuberですが、あなたがエンターテイナーとしての才能が無く、全く面白さがないのにただやりたいからYoutuberになったとしてもお金は稼げません。
これは、自分がやりたいことが優先され、世のため人のためという視点が後回しになった結果です。エンターテイナーの才能がない人がエンターテイメントを頑張っても人を笑わせたり楽しませたり幸せな気持ちにすることができず、結果見返りとなる報酬もないという状況に陥ります。
自分が何をすると喜ばれるのか、他の人がやろうとすると大変そうなのに自分はそこまで苦も無くできてしまうといったことはないか、そういったことはだれかとコミュニケーションをとる中でわかってきます。
よく相手の反応を観察し、自分がやると喜ばれることを極めていく、そこに幸せへの道があります。
愛が世界も自分も救う
世のため人のために貢献したいという気持ちは愛です。世の中を愛する気持ち、周りの人々を愛する気持ち、結局はそれが跳ね返ってあなた自身を幸せにします。
周りの人が自分がこういうことをしたら嬉しいんじゃないか、喜んでくれるんじゃないか、そういった発想はすべて愛する気持ちから生まれています。
きれいごとではなく、何とか周りの人を幸せにしたい、世の中に幸せな人を増やしたいという愛がおのずと人を幸せに導き、自分も周りの人も幸せにすることになります。
そして、それが本当に人の役に立っているかどうか、人を幸せにしているかどうかは、報酬が得られるかどうかで測ることができます。
決して、様々なことを不当に安価で受けてはいけません。それはお互いに幸せから遠ざかることになります。自分は困窮し、相手は堕落します。
報酬と提供する価値の適正なバランス、不当に報酬を要求しすぎず、不当に安く提供しすぎず、その適正なレベルを判断できるかどうかも愛にかかっています。
相手を愛するから、自分が愛する人を守りたいから、適正な報酬を提示し、提供する価値と交換してもらわなければなりません。交換してもらえないのであれば、そもそもそれだけの価値がないということになります。